夕食に味の素の冷凍餃子を焼いた。
個人的に、もう、餃子はこれでよいのではないかと思っている。
王将の餃子、中華料理店の餃子、ラーメン屋の餃子、物産展などで売っている有名店の餃子、チルドの餃子、冷凍餃子、自分で作った手作りの餃子、色々な餃子を食べてきた。
しかし、味、値段、手軽さ等々をトータルで考えたら、結論は、味の素の冷凍餃子なのだ。
それぐらい、この餃子の完成度は高い。
値段も手ごろ、冷凍で保存がきき、調理も簡単、味も旨い。
そしてなにより、飯によく合う。
私のような飲まない人間にとって、これほどありがたいことはない。
余計なことを考える必要はない。
袋の裏に書いてある通りに、ただ、作る。
水を入れてみたり、火加減を変えてみたり、アレンジという名の無駄な工夫をするからおかしなことになる。
味の素の冷凍餃子を作るとき、なすべきことはただ一つ。
味の素を信じる。
信じればよい。
信じて従えばよい。
そうすれば、餃子は必ず期待に応えてくれる。
この日も、味の素の冷凍餃子は、いつもと変わらず旨かった。
餃子を食べたら、ずいぶん昔のことを思い出した。
餃子の思い出
「道に落とした焼き餃子を、拾って食べたことありますか?」lyrics by 中島みゆき
もう、20年以上前のこと、学生だった私は金がなかった。
買い物は週に一度。
大学からの帰りに、当時住んでいたアパートのそばにあったスーパーで一週間分の食料を買い込む。
その一回の買い物で、一週間の食事をやりくりする。
そんな生活を送っていた。
ある日のこと、いつものように買い物に行くと、スーパーの企画で小規模な横浜中華街物産展をやっていた。
その中に、餃子の実演販売があった。
さすがに実演販売をやっているだけのことはある。
売っている餃子は、冷凍餃子やチルドの餃子と比べて2倍以上の金額である。
2倍以上といっても400円台後半だったように記憶しているが、当時の私にとってこの金額は大金であった。
400円あれば、どうにかすれば四日分の夕食をやりくりできる。
その四日分を餃子1パック(確か、5個入り)で使ってしまうというのは、かなりの思い切ったことであった。
スーパーの商品を眺めるふりをしながら、実演販売の前をうろうろすること数回。
キャベツが100円、もやし一袋20円、安いウインナー、これで500円弱。米は家にある。
これで4日分、上手いことやれば5日分、それを、今、目の前の餃子に変えるか否か。
迷った。
スーパーの中を30分程うろついただろうか。
結局、餃子を買った。
当時乗っていたママチャリのカゴに、色々と買い込んだ商品でパンパンになったビニール袋を入れる。
せっかくの餃子がつぶれてしまっては元も子もない。
餃子は他の商品と別にして、餃子だけを小さなビニール袋に入れた。
そして、餃子が入ったビニール袋の持ち手の部分を自転車のハンドルに引っ掛け、自転車にまたがり、いざ自宅へ。
走り始めてから1分も経たずに、ハンドルに引っ掛けたビニール袋が上へ下へ右へ左へと暴れに暴れ始めた。
「ビニール袋、掛けなおさないとダメかな…」と思った瞬間、ビニール袋の中から、餃子が一つ転げ落ちた。
「あっ!!」と思った瞬間、私は無であった。
今振り返っても、ここから数秒間、意識の記憶は残っていない。
残っているのは、体の記憶だけである。
餃子が転げ落ちた瞬間、私はすぐさま自転車を止め、後方4メートルほどのところに落ちている餃子のところに駆け寄り、アスファルトの上に転がっている餃子を拾って口に入れた。
旨い。
焼きたてでまだ温かい餃子からジューシーな肉汁がほとばしり、シンプルに旨かった。
路上に立ち止まって餃子を堪能したのち、私は自転車が止めてあるところに戻り、ハンドルに引っ掛けていた餃子の袋を掛けなおして、自転車にまたがり再びアパートに向けて走り出した。
夕食時、残りの餃子をきちんと皿の上にのせて食べた。
味は間違いなく旨かった。
しかし、落とした瞬間、間髪入れずに拾い食いしたあの餃子の味と比べると、どこか物足りなさを感じた。