〇もう、ずいぶん長いこと、映画館に行っていない
岩波ホールが閉館するというニュースが流れてきた。
SNSにも惜しむ人の声がたくさん見られたが、現実問題、コロナ禍以降、人が入っていなかったということは、その惜しむ声を上げていた人たちでさえも、岩波ホールから足が遠のいていたのだろうと思う。
自分自身を省みても、もう13年ほど映画館には行っていない。
映画館を運営されている方には申し訳ないのだが、正直、自分の中で映画館に行く理由がなくなってきているのだ。
一昔前、ブラウン管テレビの時代なら、家庭のテレビは小さく、音響などあってないようなものだった。
しかし、今となっては、一人暮らしでも30インチぐらいのテレビなら普通に持っているだろうし、戸建ての住宅であれば50型テレビがあっても不思議ではない。
映像のクオリティも、DVDが家庭に導入されて以来、映画館も家庭もほとんど遜色ない。
音響も、特別なオーディオ機器を揃えなくても、テレビのスピーカーでそれ相応に良い音が聞ける。
画面のサイズ、映像の質、音の質、これらの点で映画館と家庭に差が無いとなってしまうと、どうしたって映画は「家で観るもの」になってしまう。
映画館で観ていれば、色々と周りのお客さんに気を遣うことも多いが、家で観ている分には、どのタイミングでトイレに行こうが、煎餅をバリバリ音を立てて食べようが、途中で寝ようが自由である。
また、人によっては、酒とちょっとしたつまみを用意して、軽く飲みながら観るという人もおられるだろう。
そこには映画館という環境に束縛されない自由があるのだ。
Netflixなどのサブスクビジネスが定着した今となっては、映画そのものは今後も廃れることなく、むしろこれまで以上に精力的に作られていくだろう。
しかし、映画館となると、なかなかに「厳しい商売なのかなあ」という気がする。
〇映画を映画館で見ていた頃
こんなことを書くと、もともと映画館に愛着がない、もしくは映画そのものになじみがない人なのではないかと思われるかもしれないが、そんなことはない。
今でこそ関東の端の方に住んでいるが、ここに引っ越してくる前は、石川県の金沢市に住んでいた。
なんだかんだで足掛け10年弱住んでいたのだが、この時期、なぜか映画にはまってかなりの量を観ていた。
はまりっぷりが特にひどかったのが、この10年のうち最後の3年ぐらいで、この時期は年間400本以上の映画を観ていた。
今はもう無くなっていると思うが、当時住んでいたアパートの近くにレンタルビデオ屋があって、そこで週に一度「旧作レンタル100円」の日をやっていた。
そこで一度に7本借りて、一日1本ずつ、一週間かけて観る。
そしてまた「100円の日」が来ると、借りていたものを返して7本借りるというのをひたすら繰り返していた。
これだけでも年間350本ぐらいは観ていたのだが、これにプラスして、映画館に入り浸って100本以上の映画を観た。
金沢市の郊外にあったユナイテッドシネマ金沢にもよく通ったが、一番足を運んでいたのは金沢市の中心、香林坊109に入っていたシネモンドというミニシアターだった。
当時、このミニシアターには5万円+消費税を一括で払うと1年間映画を何本観ても無料というシステムがあった。(今もこの制度があるかどうかは不明。)
今と変わらず、当時も金はなかったが、毎年毎年どうにかこうにか5万円を用意してこの制度をフル活用していた。
このころ、シネモンドでは年間140本ぐらいの映画を上映していたように記憶しているが、当時の私はホラーを除いて上映されるすべての映画を観ていた。
休みの日は、朝一番にシネモンドに行って、そのまま一日の上映作品をすべて観て、22:00頃に帰宅する。
そんな生活だった。
今、思い出してみると、マーティン・スコセッシの『ザ・ブルースムーヴィープロジェクト』を一通り観たのもこの映画館だったし、美輪明宏の『黒蜥蜴』を観たのもここだった。
朝から夜までぶっ通しで映画を見ているので、まともな昼食を取った記憶が無い。
小腹がすくと、いつも、シネモンドが入っている香林坊109の1階にあるスタバに行って「タゾチャイティーラテ」(今は「チャイティーラテ」になっているが、当時はこの名前だった)を買い、それを飲みながら映画を見ていた。
〇物置に懐かしいものがあった
先日、買い物帰りにスタバに寄った。
コーヒーを飲まないので、スタバではいつもフラペチーノか紅茶系の飲み物を注文するのだが、この日はチャイティーラテを頼んだ。
飲むと、「スタバだな」という味、旨いでも不味いでもないスタバのあの味が口の中に広がる。
いつも飲んでいる味なのだが、この日はこの味が、ふと、以前住んでいた金沢に、そして、そこで足しげく通っていたシネモンドに結びついた。
帰宅後、「そういえば…」という思いに駆られて、物置として使っている六畳間を探してみた。
すると、探していたものが出てきた。
金沢に住んでいた当時、シネモンドで見た映画の「チラシ」である。
今はどうなっているのか知らないが、当時、シネモンドでは入り口横の棚に上映中の映画のチラシをずらっと並べて自由に持ち帰ることができた。
当時の私はそれを毎回欠かさず持ち帰っていたのだ。
パッと見ただけでも、ダブっているものがたくさんあるし、そもそもこうやって手元に残さず、処分してしまったものもあるだろう。
このチラシ自体には特に思い入れもないのだが、それでも、こうやって当時の自分と今の自分を結びつけるようなものが出てくると、どうにかこうにか暮らしてきたのだなという実感と、誰に対してというわけでもないのにどこか申し訳ないような不思議な感覚がわいてくる。