正月、Youtubeで落語を見ていた。
すると、お勧めの項目に柳家小三治が出てきた。
それを見て、小三治はもう亡くなったのだということにあらためて気づかされた。
コロナやら、オリンピックやら、衆院選やら、世の中を騒がすことが色々とあったからなのかもしれない。
しかし、それにしても、小三治の死は、あまりにもサラっと流れて行ってしまったような気がする。
自宅にはテレビが無いので、小三治の死がテレビでどの程度の扱いを受けていたのかはわからない。
ただ、少なくともインターネットを見ている限りは、せいぜい、死去の報が流れた後にツイッターのトレンドに「柳家小三治」の名前があがった程度だった。
単純に目立っていたから、インパクトがあったから、露出が多かったからだと思うのだが、立川談志が死んだときは、こんなものではなかった。
テレビが無くても、様々な追悼番組が放送されたという情報は伝わってきたし、ネットや書籍でも、多くの個人や組織が、談志について色々なことを語り発信していた。
結局、それが個人であっても組織であっても、メディアというものは世間に与えた衝撃の大小のみを基準にして、扱いの大小を決めているのだなということが改めて分かった。
もちろん、死後の騒ぎの大きさが噺家としての評価を決めるわけではない。
むしろ騒げば騒ぐほど、それが鼻につくと考える方もおられるだろう。
しかし、そうは言っても、あまりにも素っ気なく、まるで古い皿なのだから割れるのは当たり前だとでも言いたげな風情で、小三治は送られてしまったように思う。
結局、「噺家の死」と「教祖の死」の違いなのだろうということを思ってみたり、みなかったりする。
現代のうどん屋で…
小三治の持ちネタにうどん屋があった。
その中に、うどん屋の店主と酔客とが絡む下りがある。
酔客は祝言の帰り道。
幼いころから何かと面倒を見てきた同じ長屋に住む女の子が結婚するというので、その結婚式に参加した帰りだというのだ。
この酔客とうどん屋の絡み、通常なら笑わせる部分なのだろうが、小三治がやると酔客の人情味があふれて滑稽話のはずが、どこかほろりと来てしまう。
このうどん屋が出していたうどんは、どんなうどんだったのか。
江戸の噺だから肉うどんや月見うどんではあるまい。
天ぷらが乗っているような豪勢なうどんを出しているような風情でもない。
恐らくは「かけ」、具は入っているにしてもネギがせいぜい、よくても「時そば」よろしく竹輪の薄切り一枚でも入っていれば上等な方だろう。
時は変わって現代のうどん屋、丸亀製麺。
かけうどんである。
江戸っ子と違って粋のかけらもない現代のメタボおじさんは、うどんの他にかしわ天とちくわ天を取り、さらにはそれに大根おろしも付けた。
(アプリクーポンを使ったので大根おろしは無料である。)
もちもちのうどんに、すっきりした出汁。
ネギを少しだけトッピングした。
天ぷらはうどんにのせてもいいが、今回は、大根おろしをのせて、テーブルにおいてある出汁醤油をたらして食べた。
これはこれで旨い。
一心不乱に食べ続け、サラッと完食。
食べ終わって店を出る。
うどんを茹でる湯気の熱気が充満した店内と違って、外は夜の空気がキリっと冷たい。
熱いうどんを食べた後、寒空の中を家路につく心持は、江戸も現代もそれほど変わりはないだろう。
〇店舗情報
丸亀製麺小田原店
神奈川県小田原市中里403-1
TEL:0465-42-7837
駐車場:たくさん
(店舗情報の詳細はお店にご確認ください)